ジャンル | アドバンスドノベル |
ハード | Windows |
発売日 | 2004/02/22 |
発売元 | 自転車創業 |
公式サイト | http://www.anos.co.jp/anos3/anos3.htm |
side-Aでちらっと書いたように、本作はストーリーや設定が『あの、素晴らしい をもう一度』(以下『あのすば』)と結構重なるように感じました。といっても舞台が同じとか、登場人物につながりがあるとかではなく――プレイヤーの「繰り返し」が、ゲーム中にも時間循環の形で設定されていること。ゲームを進めていくうちにプレイヤーが試行錯誤し、いろんな可能性を試すようになる姿をレアルに投影していること。そして、(プレイヤーが望むなら)「めでたしめでたし」だけでは終わらないラスト。『あのすば』では、こういった「ゲームとプレイヤーの一体感」へのこだわりに激しく感動した私。なのですが。
今回は何か違うなあ、というのが正直な感想です。最初は全くいいとこなし、これがプレイアブルキャラであることにストレスすら感じそうなレアルが、だんだん人間くさくなっていって、最後には(ストライフが他の男と幸せになるのを見せつけられるという)情けなく憎めない役回りになっていったのは期待通り。でもそれはあくまで、物語の読み手として。最後の落とし前も、フラグ一つであとは自動的に進んでいく。共感や一体感とはかなり遠い。まあ「快楽殺人者」に共感できるプレイヤーってのがいても困るけど。
もう一つ引っかかったのが、レアルの色アレルギー云々の話。カラーズや色そのものを病的なまでに嫌うのは(文字通り)色嫌い病だから、ということがラスト近くでプレイヤーに明かされるわけですが……これ、必要だったのかなあと。“「色はあってはならないもの」とされている世の中だから、それに流されていつの間にか嫌悪するまでになっていた”とか、あるいは“カラーズ討伐に存在意義を見いだしている身としては、カラーズ=あってはならないもの、と思い込むことで罪悪感を消し去る必要があった”――とチープな思いつきではあるけれどさ(恥) そういった心の持ち方の問題ということで十分だったような気がするのだけど。病気じゃプレイヤーにはどうしようもないじゃないの。「じゃ仕方ないね」で終わっちゃう。これもまた、一体感を削ぐ一因だったと思います。
『あのすば』プレイ済みだから、変に気にしてしまうんだと思います。本作単体で評価すれば、手放しで褒めちぎるレベル。でも、先に『あのすば』プレイしちゃったんだからしょうがないというか。ある意味不幸ですかこれ。あの素晴らしい一体感をもう一度、などとつい思い入れていた一プレイヤーでした。
レアルの色アレルギー同様、ストライフの薬物依存も何だか唐突で戸惑ったこともついでに。いや、それなりに伏線もあったから唐突とも言い切れないけど、何というか、ストーリーの中で浮いているというか。結局何だったのかがよく分かっていない私。ミドリの方がよほど分かりやすいたたずまいだったので、おいしいとこ持ってかれている気が。
……そういうところに必要性とか意味を求める方がアレなのかなもしかして。そういうのがないと気が済まない、教科書的読み手と申しましょうか。もう一度頭からプレイした方がよさそうかな。